日本ODA賄賂事件のベトナム側の報道


日本のPCI社がベトナムでのODA事業に絡んで、多額の賄賂を政府高官(ホー スアン ソン外務次官)に渡して、日本では大きく報道されましたが、ベトナムでもやっとその報道を目にすることが出来ました。
8月18日付けの英字新聞Vietnam Newsに出ています。
まだ全然読んでいませんが、結論から言えば、ベトナム側は、このような収賄事実を全面否定しています。

まあ、そりゃ否定しますよね。
事実を肯定したら、ベトナムの政治、経済そのものを否定してしまうわけですから。
ベトナムにしてみると、政治も経済もスムースにことを運ぶためには、賄賂は「必要悪」ではなく「必要な経費」「常識的な慣習」として、罪悪感や違法性などと考えは、常識的に感覚的に全く存在していないといっても過
言ではないのかもしれません。
また、このような収賄を受ける立場というのは「常識的な既得権」であり、ある意味「三度の飯」と同じ感覚だと思います。
(少し理論の飛躍をしますが、私はこれに近い感覚です)
もし突然、「なんで一日に三度も飯を食うんだ!、飯は二回にしろ!!」と突然言われても、「そりゃ、なんじゃ??」という感覚にまりますが、これに近いのかもしれません。
つまり「日常感覚」「常識」がここまで違っているのです。


前にも書いたかもしれませんが、社内で爪楊枝を床にポイ捨てするスタッフを注意したことがありますが、翌日、彼女からは猛烈に抗議を受けました。
「なんで床に爪楊枝を捨てることを注意されないといけないのか、まったく理解に苦しむ。昨夜、両親とも相談したが、私達は何一つ間違っていない。あなたの謝罪を求む」と。

仕事についても、例えば、仕事の締め切り当日に突然休む。
理由は色々あろうけど、翌日出社した際に、その旨の話をしても、全く理解してもらえない。
「仕事の締め切りは知っています。仕事はまだ終わっていません。しかし私は疲れていたから休みました。何か悪いことなのでしょうか?」と。


当然、国も民族も違えば「日常感覚」「常識」「民度」は違って当たり前。
その中で「最大公約数的なものを求めていく」というのが日本人の感覚です。
(在ベトナムの韓国系企業は暴力という手を使って、ベトナム人をコントロールしていますが)
この歩み寄りがあればいいのですが、ベトナム人はタイ人と比べると、この部分についても、非常に意固地(これを「プライドが高い」と評する人もいます)だと思います。


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