一号線を北上せよ!足で越えろ、中越国境! その1(ハノイ〜ドンダン友諠関国境)

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2009年3月28日土曜日。
ハノイへ来て3年強。
やっと重い腰を上げて、久々に「目指せ、国境!」を実施しました。
未だ、ハノイ市内観光すらほとんどしていないし(ホーチミン廟にも文廟にも戦争博物館にも水上人形劇にも行った事がない)、ハノイに一番近い世界遺産ハロン湾にも行ってないし、ベトナム国内の有名観光地にも行っていませんが、やっぱり「国境!」が私を挽きつけます。
家人は「なんで、ベトナムでのあなたと初めての旅行が国境でしかも中国なの?」と納得いっていない様子。(家人は友人や義弟とハノイ観光、ハロン湾は経験済み)

学生時代の板門店の韓国−北朝鮮、在タイ時代のタイ−ラオス、タイ−ビルマに続き、4回目の徒歩で渡る国境です。
(韓国−北朝鮮板門店国際会議場内部のみでパスポートにスタンプが押されるわけではありません)。
「国境を足で渡る」、これは日本国内に住んでいれば絶対に経験できないことです。
東南アジアに住んでいるからこそ出来る特権(?)みたいなものです。
また、国境というのは、猥雑で活気があり、そこへ行き交う人々を見ているだけでも面白いものです。

あ、初めに書いちゃいますが、今回は、非常に軟弱な国境越えです、ハイ。
トラブルを避けるのと、確実にベトナム側へ戻ってくることとハノイまで戻ってくるために、実は車とガイドを雇いました。
これも「言葉が出来ない」ということが起因しています。
ベトナム語、中国語がある程度話せるのであれば、車もガイドも雇わずに行ってみたかったです。
(事実、あとからわかりますが、中国側では全くというほど英語が通じませんでした)
また、ベトナム−中国国境では外国人のトラブルも頻繁に起きる、とも聞いていたので、リスクヘッジをしました。


ベトナムと中国の公式な国境は現在3つです。海側から、
・モンカイ国境
・ドンダン−友諠関国境(ランソン国境とも言われます)
・ラオカイ国境
となっています。(非公式国境はたくさんあります)

モンカイの国境はこの3つの国境の中では一番大きいそうです。
しかし、今回は、「ハノイから日帰り」が大前提となっていたので、ドンダン−友諠関の国境を目指しました。

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今回の旅の軌跡


朝8時。
アパートに車とガイドが迎えにきました(どこまでオダイジンなんだ(笑))。
車はトヨタのミニバンタイプ(ハノイタクシーなどが使っているタイプ)。
もちろんエアコン完備でシートもリクライニング。快適な車です。

ガイド氏はHOK君。歳の頃は27、28歳。
日本語はかなり流暢です。
ハノイ大学の日本語学科を卒業し、日系企業に勤めたり、その傍らガイドバイトをしたり、また自営でもお店をやっているそうです。
仕事で日本へ言った経験もあるそうです。
洋服もアイロンの掛かったズボンと白いシャツ、笑顔を絶やさず、見るからに好青年で、お金持ち、育ちのよさを感じるベトナム人でした。
突然「べとな〜〜〜〜む、ほ〜ちみ〜〜〜〜〜〜〜〜ん(by 「水曜どうでしょう」のニャンさん)」なんて歌いだすタイプではなさそうです。
なるほど!、ベトナムへ来た観光客はこのようなガイドさんと接することで、ベトナムに対してまずは好印象をもてるのかもしれないんだな。

ドライバー氏、歳の頃は40歳ぐらい。
笑顔ですが寡黙です。それもそのはず、日本語も英語もわからないとのこと。
異国人の中国国境越えを監視する公安ではなさそうですし、「ビルマの柳生一族(by 高野秀行)」のような役職でもないようです(当たり前か)。

ハノイからドンダン国境を目指すルートは、
ハノイ→チュンズオン橋→国道5号→国道1号新道(有料道路)→バクニン省バクザン省ランソン省→ドンダン→国境
となります。距離にして約200km強。3時間の行程。
アパートを出てからバクニン省までの道は毎日通勤している道なのでほとんど興味なく、ガイドのHOK君とおしゃべりにふけていました。

HOK君、ガイドと言いながらも、
「実はドンダンの国境へ行くのも、ランソンに行くのも初めてなんです」
「この仕事が廻ってきてラッキーです」
「中国にいけちゃうし」
「初めての中国なんで楽しみです」
「仕事が廻ってきてからワクワクしてました」
「いろいろとお土産買えますね!」
「きっと楽しいですよね?」
と、どっちが客なんだかわからない会話が続きました。
こんなガイドで大丈夫なんかいな??(笑)。

事前の話では「ガイドは時々問題が起こる国境の双方の国でのパスポートチェックをスムースに行うため」「中国国内での言葉のため」ということだったのですが、HOK君はあっさりと、
「学生時代にちょこっと中国語習ったけど、今は全然話せません」
と言い出しました。
ますますガイドなのかなんなのかわからなくなってきました。

こちらの不安と疑問をよそに、HOK君は色々と話し掛けてきます。
「日本は豊かですよね」
「成田空港と同じぐらいの建物はまだベトナムにはないです」
「東京へ行ったときにはビックリしました」
「日本人はみんなルールや規則を守りますね。ベトナム人が一番見習わないといけないことです」
「日本はちゃんとしたサービスがありますね。ベトナム人はこのサービスというが苦手でなかなか出来ません」
「世界経済不況の影響がベトナムにもたくさんあります」
ベトナムは物価が上がってしまって生活が苦しいです」
「日本には山がたくさんありますね」
「日本に山が無い県があるのを知ってますか??・・・・山梨県です」
ベトナムの料理は好きですか?」
「もうすぐ日本祭ですね。」
「去年はとても残念でした。ベトナム人が日本から運んできた桜を全て折って持って帰ってしまいました。これはベトナム人としてとても恥ずかしいことです。文化的交流のイベントなのに、ベトナム人の文化の無さを示してしまいました。ベトナム国内でも問題になりました」

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こんなたわいもない会話を続けながら、車は順調に進み、小一時間でバクニン通過。
ここまでは国道1号線の新道である高速道路は片側2車線の快適な道路です。
日本のODAで作られた道路で、建設当時は「ベトナムで一番美しい道路」と言われていました。
バクニンを抜けると、普通の対面通行の道になりました。

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バクザン省も工業団地設立ラッシュや工場建設ラッシュでした。
水田風景の中、突然広範囲に水田が掘り起こされ、ダンプがひっきりなしに出入りしていたり、Foxconn、三洋といった外資企業の工場が建設されています。



ベトナムでは畑の中にお墓がポツンポツンとあったり、まとまってお墓が建てられているところがあります。
お墓も形などが様々です。立派な小さい中国風東屋みたいなものから、墓標もなく小山になっているようなものまで。
HOK氏ここでまた「日本の諺どおりです。地獄の沙汰も金次第。これもベトナムも同じです。お金のない人はお墓もないしお葬式も出せません」。
なかなか言葉を知っています。
また、今日はやたらお墓に人が集まっていたり、お墓に白い旗が立っているのを目にします。
HOK氏曰く、
「旧暦の3月3日なんですが、日本でいうところのお盆みたいなものです。先祖のお墓にお参りして、供養と安全祈願をします」。
「場所によってはお祭りをやるところもあります」。
「またこの日にだけ食べるお菓子もあります」。


国道一号線にはベトナム国鉄の線路がつかず離れず走っています。
この鉄道、単線ですが線路が3本あります。
詳しくは知りませんが、車輪の幅が違う車両が走っているのでしょう。
また、確かこの路線はベトナム〜中国間の乗り入れ国際列車が走っています。


ハノイを出発して1時間半。
トイレを兼ねた休憩。
観光客を相手にしている茶店のようなところに入りました。
店内はベトナム語と中国語。「越南産品」とか「高級香水」とか。
トイレの表記もベトナム語と中国語。

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ここでカフェ・ダー(ベトナムのアイス珈琲)を飲みながらしばしの休憩。
私が
「エモーイ(おねえちゃん)、ガッタン(灰皿)」
というと、HOK氏は、
「床に棄ててください」
と。これもベトナム文化。
すると家人がすかさず、
「床に棄てたら掃除するのが大変じゃない。灰皿を用意すれば床が汚れないし掃除の手間も掛からないのに、なんで灰皿を用意しないの?」
と。
お、やるな、家人。さすが主婦ぢゃ。いや掃除の手を日頃から抜こうとしている智恵がついているだけか(笑)。
HOK氏、
「これがベトナムの文化です。灰皿出してもそれを使わない人はたくさんいます。お店が灰皿用意するにもお金が必要です。床は毎日掃除するから、その時に一緒に床に落ちたタバコを掃除すればいいから特に掃除が大変じゃないです」
と。
灰皿なんかそのへんの空き缶で十分じゃん、と言おうとして止めました。

床は毎日掃除する→床に何が落ちていても毎日掃除する→タバコは床に棄てても問題無し→灰皿を用意したり灰皿を掃除する方がかえって手間がかかる・・・、う〜ん・・・ベトナム式の合理的な考え方なんでしょう。
そこには清潔感とか、火の始末の心配という概念は皆無です。これもベトナム式です。
でもベトナム人の言動を見ていると理解できる考え方です。

大型バスが2台入ってきました。
そのうち1台は中国人が乗っていました。
私は中国人とベトナム人の顔の区別がつきませんが、話している言葉でどちらの人民なのかを理解するしかありません。


バクザンを抜け、いよいよランソン省に入りました。
ランソン省も大きな省なので、この省境からランソンまではまだ90kmあります。

このあたりから景色がガラっと変わります。

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これまで、基本的には広大な田園風景でしたが、いきなりドカンと山が迫ってきます。
徐々に山が迫ってくるのではなく、ドカンと。それもほぼ垂直です。
まるで桂林のような雰囲気です。(行ったことないけど)。
雨水で浸食されているような雰囲気です。同じ形が2つとなく、飽きずに見ていました。
陸のハロン湾といった様相です。(行ったことないけど)。

それにしてもこの付近の山の景色は迫力があって目を楽しませてくれます。
場所によっては田んぼの中からドカンと山が立ち上がるのです。
いやはや壮観です。
ハノイで平坦な景色しか見ていなかったためか、眺めているだけで楽しい風景を見たのは久々です。


道路もワインディングロードになってきました。
HOK氏が「シートベルトをしてください。このあたりは交通事故が多いそうです、とドライバーが言っています」と。
そんな激しいアップダウンや左右へのワインディングロードではありませんので、車は快調に飛ばします。
しかし、所々で警察が取締りをやっています。
スピード違反と追い越し禁止区間での追い越しの取り締まりだそうです。
バクザン〜ランソンでは多くのところで警察による取締りをしていました。
そのため、対向するドライバー同士は手でサインを出しながらすれ違っていきます。

ワインディングが終わる頃、ランソンの町の外れへ到着。
このころからHOK君がやたらと携帯電話を掛け始めます。
まもなく「左:ランソン、直進:ドンダン」という標識が出てきましたが、車はランソンには入らずドンダン方面へ。
するとHOK君がドライバー氏に車をとめるように指示。
まだ誰かと電話をしています。話しながら車の外へ出て行きました。
社内からHOK君を見守っていると、HOK氏に走って近づいてくるオヤジが一名。
そしてHOK君とともに車へやってきました。

いよいよ「公安?!」「柳生一族登場?」というわけではなく、HOK氏が、
「Vietさんです。ココから先は彼のガイドに従っていきます。彼は中国語がペラペラです。国境の手続きも中国側も彼がガイドしてくれます」
と。
なるほど、今朝、「ランソン行くのも初めて」「国境も越えたことがない」というHOK君との不安満載な会話やどっちが客だかわからない状況というのがやっとこれで氷解です。
客は私と家人だけなのですが、ガイドが2人、ドライバー1人という、やっぱり軟弱オダイジン旅団となってしまいました。

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Viet氏、50歳ぐらい。
時々笑顔が見せますが、明らかにHOK君やドライバー氏とは雰囲気が違います。
まあ、はっきり言っちゃえば「怪しいベトナム人おやじ」。
でも、中国語がペラペラで、しかもこの国境ルートで中国には何度も行っているということなので、彼に従わざるを得ません。


Viet氏が助手席に乗り込み、HOK君はミニバンの荷台部にある3列目のシートを起こしてそこに追いやられてしまいました。
再出発してから、Viet氏のガイドが始まりました。それをHOK氏が日本語に通訳します。

ん?。そういえばHOK氏にはここまでガイドらしいガイドをしてもらっていません。
まあ、ココまでの道程でガイドする必要性もなかったし、ガイドする対象もなかったですね。
つまりココまでの車内では、HOK君とは単なる日本語での世間話に終始していたのでした。
ここで初めて、HOK君が「通訳」という仕事をはじめるわけです。
Viet氏は日本語は話せず、英語も少しだけ、ということで、これから先は、基本的にはHOK君を通じて、Viet氏と話をしたりガイドをしたり指示を受けたりすることになります。
中国に入れば、きっと、私→(日本語)→HOK君→(ベトナム語)→Viet氏→(中国語)→中国人という言葉のリレーがされることでしょう。またその逆もしかり。

Viet氏、さすがにこの国境越えのガイドだけあって、詳しい詳しい。
友諠関は国境としては2000年以上の歴史があるとか、中国側の広西省(実際には「広」の中の「ム」がないようです)の面積はどのくらいで、人口がどのくらいで、広西省には民族が約50ぐらいいて、そのうちいくつかの民族はベトナム側の少数民族と同じ民族で・・・。
国境を越えてから行く中国のPingXiang(ピンシャン)の街の人口はどのくらいで、面積はどのくらいで・・・。
延々とガイドが続きます。
あまりにも詳しすぎて、逆に頭の中にはほとんど残りませんでした(笑)。

頭に一番残ったのは、Viet氏曰く、
「この周辺で外国人が越えられる国境はこのドンダン友諠関国境だけだが、この周りにはいくつもの地元民の国境がたくさんある」
ということでした。
様々な物資がそれらの非公式国境でやりとりされているとのこと。
あえて質問はしませんでしたが、いわゆるこのあたりは中国への人身売買のベトナム側拠点となっていますので、彼らもこのような非公式国境を越えていくのでしょう。
また様々な密輸、偽札もこのような非公式国境を通じて行われているのがわかります。

国境に近づくに連れ、周りは山となってきました。
Viet氏がしきりに、
「ほら、あの山のところに道があるだろ。あれが中国側へ抜ける非公式国境の一つだ」
「ほら、あれもだ」「こっちもだ」「あ、人が荷物を運んでいるのが見えるだろ。」

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通訳HOK氏が介在するので、写真を撮ろうとしても説明を聞いてカメラのファインダーを覗いても、その場面は通り過ぎてしまうのが残念でした。
しかし、確かに荷物を担いで山を越えようとしている人民がいたのは事実です。
しかもそれが「公然の事実」としてふつーの人々も知っている。
それに対する取り締まりは特にない(らしい)。ちゃんと鼻薬が効いているからか。そもそも役人達がコントロールしているからなのか?
このような「裏国境」が双方の国の特定の人たちにに利権と利益を生み出しているのでしょう。
また、騙されてこの「裏国境」を歩く人もいるはずです。

やはり東南アジアの国境というのは、このようなちょっと怪しい雰囲気が漂っています。
国境はやはりこうじゃなくちゃ、と心の中でつぶやいていました。

また、このあたりはそもそも、民族としては同じ民族が住んでいます。
それが「国」が一方的に決めた「線引き」によって、同じ民族でありながら「従属する現在の国家」が違ってしまっている人たちもたくさんいます。
「民族=国民」ではない、ということはこの中国・ベトナム国境エリア以外にも、東南アジアではどの国境エリアでも見られることです。
「裏国境」というのはそういう民族の人々が行き交うルートでもあるのです。


またViet氏は、
「写真撮影で気をつけることは、入出国事務所、およびその周辺の警備員を撮影してはならない。建物の中を撮影してならない。これだけは守ってくれ」
そして、
ベトナムを出国するときに荷物検査などはない。ただし中国へ入国するときには荷物検査がある。中国はベトナムからの荷物などの持込を厳しくチェックする。武器や麻薬もだめ(当たり前だよ)。肉類や野菜もだめ。」
「でも中国からベトナムへ戻ってくるときには、中国側の出国で荷物の検査はない。ベトナムの入国でも検査はない。つまり中国からは何でも自由に持って帰ってくることができる」
と。

なるほど、この中国とベトナムとたった一本の線で引かれている国境の向こうとこちらのそれぞれの国に対する姿勢や経済力、国力というのが、彼の言葉から感じることが出来ました。
HOK君も「中国はモノが豊富で豊かだからね」と。
「中国が豊か?」、私は耳を疑いましたが、ベトナムから見れば中国はきっと豊かな国なのです。


このあたりになるとベトナム人民の顔が少し違っています。
いわゆる少数民族の比率が高くなります。
農耕地も貧弱になり、家も貧弱です。中には家なのか小屋なのかわからないものもあります。
そんな景色とは似合わないそこそこ立派な舗装路が中国国境へ向けて伸びていきます。

いよいよ国境あたりかな、とTreoProのGoogleMapsとGPSで位置を確認していると、
突然、ゲートが現れました。

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イミグレも通過していないから、まだ国境ではありません。
Viet氏が車を降り、ゲートの警備員(国境警備隊か公安か警察でしょう)へ説明をしに行きました。
写真を撮るなといわれていましたが、車の中からこっそりと。

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ここを歩いていく人もいます。

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HIVについて啓蒙する錆びた看板も立っています。


Viet氏の説明が簡単に終わりゲートが上げられ、ここは普通に無事に通過。

このゲートから内側がいわゆる国境エリアとなっています。このゲートは国境エリアの出入り口だったのです。
このゲート周辺には空荷のトラックなどが多数止まっています。

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これらのトラックは、中国から輸入される物資をベトナム国内へ運び入れるためのものです。
もちろん空荷でココまできているのではなく、ベトナム国内から中国へ輸出するものを運んできているのでしょう。
しかし、時間帯が違うのか、今日が土曜日のためなのか、実際に物資の運搬をしている光景は一切見ることができませんでした。
また、ゲートを抜けると、茶色いミニワンボックスのような新車が多数並んでいました。

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これは中国から輸入された車だそうで、検査手続きを待っているそうです。
車も輸入される国境です。


このゲートから500m進むと、左手に国境事務所、いわゆる出入国の手続きを行うイミグレオフィスが現れました。

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ここで車を降り、いよいよ国境越えの手続きです。
ドライバー氏はここで夕方まで待機。
私と家人、ガイドのViet氏とHOK君と4人での国境越えが始まります。

胸が高鳴る一方、実は、あっけなさというか、国境の興奮というものが全くないのです。
今までの国境越え「タイ−ラオス」「タイ−ビルマ」の場合、それぞれの国境手前は物資が溢れかえり、様々な声が飛び交い、そこへ人が群がり、様々な売買が存在していました。
大口の商いもあれば、個人レベルの商いもありました。
また人が集まるわけですから、飲食店なども集まります。猥雑な雰囲気や喧騒に包まれているのが今まで私が渡ってきた国境でした。
「二つの国の人とモノとお金が動いている」ということを実感できたのです。
しかし、少なくともここまで国境のベトナム側ではそういう光景が一切ないのです。
これは正直、拍子抜けでした。
家人に事前に話をしていた「国境というのはモノと人が溢れて、騒がしくて、一種のお祭りみたいな雰囲気もあるだよ」というのは、見事に裏切られてしまいました。

あとでViet氏に確認したのですが、この国境はいわゆる「物資の通過点」に過ぎないそうです。
中国から運ばれた物資はそのまま大型トラックでハノイへ運ばれる物もあれば、ランソンの街を経由するものもある。そういう物資が溢れるのはこの国境ではなく、ランソンの街、だそうです。
ランソンの街にはベトナムの物資と中国の物資双方であふれ、ここへ買い付けに来るハノイの人民達も多くいて賑わっているそうです。
だったら、ランソンの街へ先へ行くべきだった。。。と後悔してももう遅い。
帰りに時間があったらランソンへ寄ってみることを提案するしかなさそうです。

Viet氏は、私たち夫婦のパスポート、そしてHOK君のパスポートを預かって、イミグレの中へ消えていきました。


(その2へ続く)