ベトナム流の考え方 その4

いよいよ最終編。


さて、先日のベトナム人スタッフの事例について、ちょっとした検証をしてみました。
別の私のスタッフを集めて、この件で、フリーディスカッションをさせました。

その結果、
・彼女の理由がsuitableであるから、彼女の意志は尊重されるべきだ
・彼女が「働ける」といっているのだから、法律などは関係なく働くことに何ら問題はない
・彼女は悪意を持って、法律を破ろうとしているのではないので、彼女は正しい
というのがほぼ全会一致の結論でした。

一般的な大卒スタッフの意見です。

大卒スタッフたちが、法律の解釈として「必ず時短勤務をしなくてはならない」「時短勤務は自由」というところまでは考えていなかったことを付け加えておきます。
というか「法律の解釈なんか関係ない、彼女の意思の方が重要」と意見でした。

否定はできませんが、これがベトナム流なのです。


その後、優秀なスタッフ数人と話をしましたが、前回に書いたように、
「日本の様に、ルールを守るとか他人に迷惑を掛けないという、幼少からの躾や教育がない。それが、ベトナム人と日本人との根本的な違いであり、コンフリクトの原因の大きい部分を占めている」
という理解をしていました。
そうです、これが日系企業において、日本人とベトナム人の「文化の違い」よりもっと深い「精神的対立」に繋がっていくのです。
特に「単なる押し付け」では、必ず「精神的対立」になります。


辞めたスタッフ達が言う言葉。
「今度の会社は、ルールを守れとも言われないし、守る必要も無いし、非常に快適。今までの会社(うちの会社)は、非常に厳しかった。今の会社は昼休みの時間も自由。いつとってもいいし2時間ぐらいのんびりできる」
と。
一般的な日本人の私からすると、これで会社内部の管理がちゃんと出来ているというのだから、ベトナムはすごいです。
(たぶん、内部管理は出来ていないと思うけど)


MGRをやっている優秀な女性(もちろん、彼女は「ルールを守る」なんてことは簡単にできる)。
日本へ初めて行く機会があり、ベトナムへ戻ってきて感想を聞いたら、

「なぜ、日々、日本人が、ルールを守りなさい、と言っている意味がわかった。
また、なぜ、ベトナムの地で日本人がそのようなことを言っているのかがわかった。
日本へ行ったら、会社でも社会でもそんなことは誰も言っていなかった。
しかし、みんなが当たり前にルールなどを守って生活や仕事をしていた。
社会や人々の考えや行動がすべてそのような考え方の上に成り立っている(注:すべてではないけどね。ベトナム人からみれば「すべて」に見えるのは納得)
つまり、日本人にとっては特別なことではなく、常識だったんですね」

日本へ業務留学したA-MGRも同じことを言います。

「良い」「悪い」は別として、これほど「大きな文化の違い」は存在します。

で、これら優秀なスタッフと私の心配ごとは、優秀なスタッフはちゃんと今まで書いてきたことを理解していて(だから、アシスタントMGRやMGRを務められるのですが)、今後は彼女たちが、普通のベトナム人に色々と教えていく時代となっていきます。
そのときに、絶対に、外資系企業の中の「マネジメントサイドのベトナム人 vs 普通のベトナム人」の対立構造を作ってはならい、ということ。

しかし実際には、すでに優秀なベトナム人MGRやA-MGRは、私たちに愚痴ります。
「どうして、彼女たち(ベトナム人MGRやA-MGRの部下の大卒ベトナム人スタッフ)は、こんな簡単なことが理解できずに、出来ないのだ」と。
すでに、ベトナム人同士においてもこのような「ルールを守る」ということにおいてコンフリクトが発生しているのも事実です。

そうならないためにも、日々、仕事において、会社の中において、ルールを守る等の「ビジネスの常識」を教え込んでいくのことが、ここベトナムの駐在員の大きな役割の一つですね。

また、それは「単なる日本スタイルの押し付け」ではなりません。
やはり「目的」「意図」「重要性」「それをやらない場合のデメリットやリスク」「企業としての管理」などを十分に説明し
なくてはなりません。
そして教えていくことで、ベトナム人の何人かはちゃんと理解をし、そして日常の業務において実践してくれるようになります。
しかし一方で、同時に複数人のスタッフに同じように教えても、やはり最後まで拒絶反応を示し、「ルールを守ることをいうような会社では働けない」といって、辞めていくスタッフもいるのが事実です。
また、この「ルールを守る」ということを、すぐに理解し実践できるスタッフと、非常に時間が掛かかるスタッフの差が大きいのもベトナムの特徴かもしれません。
前回も書きましたが、これをやめてしまえば、ベトナムでの外資系企業は、組織は、崩壊します。



そして、いつの日か、「ベトナム人ベトナム人にこのようなことを教えていく」という日がくるのを夢見て。

(このシリーズ、終わり)