海外生活7年目突入

今日で、海外生活7年目に突入となりました。

思い返せば、2002年6月24日、社命によりタイ赴任を命じられ、横浜駅で友人達に見送られ、成田でも友人達や会社関係の人々に見送られ、JL717に乗り込み、現地時間の15時過ぎに、初めてタイの地に足を踏み入れました。


それまで、タイが東南アジアのどのあたりにあるのかもよく知りませんでした(^^;;;
まったくの事前知識無しで(赴任が決まっても、あえてタイの情報には触れませんでした)、タイへ突入しました。
赴任前に仕事関係やプライベートな友人達に挨拶していると、
「いいねぇ、タイ赴任かぁ、俺が変わってやるよ〜」
と多数に人に言われたのですが、何が良いのかもサッパリ知りませんでした。
赴任直前に会社のタイOBのOB会があったので誘われても、OB達からは、「俺を出張で呼べ!」「いや、俺だ!」と。
このOB会は蒲田にあったタイ人が経営している小さなタイ料理屋さんだったのですが、OB達はタイ語ペラペラ、日本人同士でもタイ語で会話をし、自分達でタイPOPSのVCDを持ちこんで、ビアシン飲みながらタイカラオケのオンパレードでした。
いやはや、とっても「奇異」に映りましたですよ、ハイ(^^;;;


そして、到着直後のドンムアン国際空港ではちょっとしたアクシデント。
私を迎えに来るはずの会社の人が空港に来ていないのです。
前夜も電話で確認したのですが。

空港の出口のところには出迎えの人が山ほど来ています。
乗客たちは次々と出迎えの人たちと消えていきます。
30分以上経っても迎えにくるはずの人は待ち合わせ場所(AISのカウンターがある場所)に現れません。
そして、到着時から目に入っていた女性が一人。
彼女は、会社のロゴの入ったプレートを胸の位置に掲げていました。
しかし私は無視をしていました。
それは、赴任直前に次のようなことを聞いていたからです。

タイの空港では日系企業の名前やロゴの入ったプレートを掲げ(時には美しい女性が微笑みながら)、出張者などを呼び込み、そのままボッタクリや賭博詐欺へ連れ込む被害が多い。
実際に会社の出張者でも被害者が出ている。

こんなことを聞いていました。
そのため、目に入っていた女性が微笑んでいても、無視を決め込んでいました。

いよいよその場に残されたJL717の乗客は私だけ、という状況になりました。
「う〜ん、まいったなぁ。どうしちゃったのかなぁ。タイは渋滞がすごいって聞いたからなぁ。公衆電話のかけ方は聞いてきたから、迎えに来るはずの人の携帯に電話するかなぁ。あ、その前に両替もしなきゃなぁ」

なんて考え始めていたら、その微笑の女性がスタスタスタと私の方に寄って来るではありませんか。
年の頃、23か24。小柄で笑顔の美しい女性です。
「タイは微笑みの国って聞いてたけど、なるほど、これがその微笑なんだなぁ・・・。いい笑顔だなぁ・・・。いやいやイカイカン。これに騙されている人が多いのだから」
と心の中で否定をしていました。

するとその微笑の女性が、
「○○さんですか?」
と、とても美しい日本語で私の名前を口にしました。
「な、なぜ、俺の名前を知っている???、ん、そっか、このスーツケースに名前の入ったプレートが掛かっているもんな。いまこれを読み取ったんだろうな」
と心の中で考えて、無視をしていました。
すると続けて、
「■■さんは、今日、これなくなりました」
と私を迎えにくるはずの人の名前まで出てきました。
まだ無視を決め込んでいると、その女性、私が赴任前にタイの会社に送った顔写真や書類のコピーを私に見せて、
「私は会社で通訳している▲▲です。実は・・・」
と話を始めました。
それでも半信半疑な私です。
「ごめんなさい、あなたのことを知らないし、信じられません」
と私は初めて口を開きました。
彼女はちょっと困った顔をして、
「この出口の反対側に(ドンムアン空港は税関を出ると左右に出口が分かれていた。私は待ち合わせ場所となった左側の出口へ出ていた)、多数の出張者の出迎えのため、人事の●●さん(日本人)が来ています(出張者が
多数の場合、弊社では右側の出口で待つようになっていた)。なのでもう一度、中を通って反対側の出口に行けば、きっと信じてもらえます」
と。
もう一度、中に入る??、普通、そんなことできないだろう?と思いつつも彼女に先導されて、中へ入ろうとしました。
もちろん警備員に止められますが、彼女がタイ語で警備員に説明すると、私だけは再度中に入ることが出来ました。

反対側の出口へいくと、人事担当の日本人の●●と先ほどの女性(息を切らしていたので、外側を走ってきたのでしょう)がいました。
しかし、この人事担当の日本人の●●は、名前だけは知っていましたが顔は知りませんでした。
20人ぐらいの出張者もいて、その中には、知り合いが2,3人いたので、まあ、間違いないとは思ったのですが、その人事の●●から携帯を借りて、私を迎えに来るはずの人に電話をして、一応確認はしました。


2002年6月24日、初めて降り立ったバンコクでは、このようなちょっとした出来事からスタートしました。
この出来事はつい最近のような気もするし、ずいぶん昔のような気もします。

そして2006年3月6日朝のTGでタイを飛び立ち、初めてベトナムの地を踏んで、現在にいたっています。

この6年間で、楽しい友も数多くでき、また、海外携帯や海外MOBILEも堪能し、気がつけば、タイ赴任前に「タイ語を操り、奇異に見えたOB達」の一人になってしまっていました(笑)。
しかしタイを離れると、当然ですが、タイ語能力はみるみるうちに落ちてきてしまっています。
かといって、ベトナム語は相変わらずまったく話すことができません。
海外生活7年目ということで、「よっしゃ、ここは一つベトナム語でも」という気持ちもさらさらなかったりします(^^;;;
日本に帰るのはいつになるかわかりませんが、心身ともに元気に帰りたいですね。
 

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