ベトナム流の考え方 その3

先日の続編。

というわけで、このスタッフには、
「すべての行動、すべての思考は、まずはルールや規則、法律を遵守しなくてはならない」
ということを教えるところから始めています。
(このことは、毎回、新人に話さなくてはいけないので、定型化してます)

今さら言うことでもありませんが、程度の差やレベルの差はあれ、ベトナム人には、
「ルールを守る、規則を守る、法律を守る」
という概念、意識というものが薄い傾向にあります。
これはベトナムにいる日本人(除く、ベトナムマンセーや無責任な日本人な方)なら日々苦労されていることでしょう。
ビジネスにおいて、また企業内部を管理する上で、「ルールを守る、規則を守る、法律を守る」ということは絶対に必要なことなのは、一般的な日本人や日系企業では常識です。
(もちろん、こういうやり方に不満を持って、日本を飛び出す日本人が多数いるのも、一つの事実です)

入社当初からキチンとした意識を持っているスタッフもいます。
あくまでも傾向論です。

優秀なスタッフの弁では、
「日本や先進国と違って、家庭教育、社会としての教育、学校教育の中で、このような教育や躾は、実態として行われていない」
ベトナムの一つの文化として、国家の決まり事も村の垣根まで、ということが挙げられる」
ということです。

町をみていればわかりますね。
子供をバイクに乗せた親が、平気で道路を逆走するは、信号無視をするは、逆走など自分勝手な運転をするは・・・
こういう親のもとで育ってきているわけです。
もちろん「悪意」を持っているわけではありません
彼らは「自分の欲求通りに行動」しているだけです。
ある意味、素直で純粋です。それを否定する気は毛頭ありません。なぜなら、ここはベトナムであり、これがベトナムの文化だからです。

単に「法律やルールや規則を守る」という概念や意識が「生活の中に、人生の中に定着していない」傾向にある文化と感じます。
こういう「環境(躾)」の中でほとんどのベトナム人が育ってきているわけです。

今回のこのスタッフからも、
「今まで、学校や社会において圧力的に制限されることは多々あった」
「生まれて初めて、ルールや法律を守る、ということを教わった」
「生まれて初めて、自分の思考や行動が、法律遵守という観点で否定された」
「生まれて初めて、自分の行動を、法律やルールや規則と結びつけて考えないといけないということを教わった」
と、素直に話をします。


これらのことは、日々の仕事をしていても、全く同様です。
「決められた手順やルールは守れない」。というケースは残念ながら様々な場面で頻発しています。
そもそも「手順やルールや規則を守って、行動する」という思考回路や行動原理がやはり薄いのです。
そのため、
法律やルールや規則は理解していても、自分の欲求がすべてに勝り、しかも、それによってルールや規則や手順を守らなくても、「自分は悪意を持って破ったのではないので、自分は悪くない」
という理論となっているのでしょう。
しかし、特別の場合を除いて本当に「悪意」はありません。

その原点には、
「自分は悪意を持って意図的にルールを破ったのではないので、自分は悪くない」
「自分は欲求はすべてに勝る。よって、結果としてルールを守れなくても自分は悪くない」
ということをベトナム人スタッフは認めます。

一般生活や会社生活において、法律を破ったり、規則やルールを守らないことは、「犯罪」であったり「悪いこと」であるのですが、これはベトナム人の多くが「悪意を持っている場合のみ」という述べる傾向になります。
前にも書きましたが、否定はしません。これが「ベトナム流の考え方」です。
しかし、企業内部では話が別です。
このようなことを「教えていかなくてはなりません」。
教えなくなれば、それは日系企業の赴任者としての業務放棄です。
そして企業は破綻します。


(そして、続編に続く)

                                                                                    • -

siam_breeze@モバイル/Treo Pro