ミャワディー騒乱

私も行ったことがあるミャンマーのミャワディー。
このタイ・ミャンマー国境は自分の足で渡れる国境の1つです。

すでにニュースとなっていますが、APF通信社の代表の山路徹氏が、ミャンマーの総選挙の取材のため、ミャワディーへ渡って取材中に、ミャンマー側で拘束されているようです。
ミャンマー軍事政権は、総選挙に関して外国報道機関の取材を禁止しています)

この国境、タイ・ミャンマー友好橋で結ばれており、橋の両端にそれぞれの国の国境事務所があるのですが、ここが閉鎖されていても、川を渡ってそれぞれの国を行き来することは可能といえば可能です。(もちろん不法入国)
私が訪れたときも、地元の人は河を渡って行き来していましたし、両国の子供たちはこの川で遊んで、相手の国へ上陸したりしていました。


その翌日に飛び込んできたニュースが、このミャワディーで、少数民族カレン族の反政府武装組織「カレン・ナショナル・ユニオン(KNU)」とミャンマー軍が戦闘を始め、双方に死傷者が出ているというニュース。
また、タイ・ミャンマー友好橋にも砲撃があったとか。
ロケット弾の一部がタイ側に被弾しているとか。
この先頭により、ミャワディからタイのメーソート側へかなりのミャンマー人(広義の意味で)が避難しているようです。
また、タイのターク県が戦闘地域近くの住民に避難勧告を出したとの情報もあります。

私が訪れた2006年2月、この国境は平和で平穏でした。
ミャンマー側は、国境事務所を含めて、非常に平和的で温厚、そしてフレンドリー。
ミャワディーの町の人も同様。
しかし、このエリアは昔からカレン族ミャンマー政府が争っていた場所であることは、あとから知りました。
カレン族も反政府と親政府に分断されてしまってもいます。


ミャンマーの総選挙。
たぶん、結果は改ざんされ、ミャンマーは何も変わらないのでしょう。
もしアウンサンスーチー女史が出てきたとしても、女史は少数民族問題には今までもほとんど触れていません。
(女史の父上のアウンサン将軍は少数民族との取り決めをしてますが、それも反故されてしまっています)
仮にミャンマーの軍事政権が解かれ、本当の民主政治になったとしても、ミャンマーの複雑な少数民族問題はミャンマーのアキレス腱であることには変わりません。


ミャンマーのミャワディー、たぶん、私はもう二度と訪れる機会は無いと思いますが、昔のような平穏な街に戻ることを願っています。